お金のない家は夢を持つことさえ許されない
「その環境を選んだのは自分だよね?」「バイトの忙しさは言い訳だ」
飲み会での一言。私の心を抉る一言。酔いを覚ます一言。
そんなのはわかっている、今の状況はきっと誰しも自分で選んだ道だ。
だけど、本当にそうだろうか?この道の責任は全て自分なのか?
そこには複雑に家庭環境が絡んでいるように見えて仕方がない。
お金持ちの家は、奨学金なんて借りなくても大学まで出られるだろう。でも、そうでない家は、高校から奨学金を借りてバイトをしてやっと学費が払えて生活もできる。
「バイトの忙しさは言い訳だ」
事実だけ見たらそうなんだろうけれど、でも、やっぱり、本当にそうだろうか。だって家が太かったらバイトしなくても普通に学生ができた。勉強だけに集中することができた。
でもそれは叶わない。では、社会人として働いてお金を貯めてから学生をすればいいんだろうか。それもそれで年齢というハンデを背負うことになるので私は腑に落ちない。
私たちは生まれながらに不公平なのだ。家を自分で選ぶことはできないし、お金がなかったら諦めるものも多くなる。諦めなければ諦めないで苦しい思いをし、忙しさは言い訳だと言われる。
お金がなかったら夢を見てはいけないのだろうか。現実的に考えて行動しなくてはならないのだろうか。この持て余した若さは夢も希望も持たずに朽ちるのだろうか。
たかが家の金銭状況で、そんなことで、私の人生の夢を諦めなくてはならないのが悔しくて私はここにいる。でもそれは私の生活の全てなのだ。お金がないことも、夢があることも、忙しさで時間がないことも。
考え方、発言に生きてきた環境全てが出るんだなと改めて思った夜だった。そしてそれは決して交わることがない。わからない、想像できないものは理解しようがないのだ。お金持ちと貧乏は本質的には分かり合えない気がする。