cLi0nE37’s blog

心のゴミ箱

兆し

ずっとずっと家族というものが煩わしかった。苦しかった。逃れたかった。

でも、逃れて会わなかった期間は、嫌な思い出から作り出された虚像が私を苦しめていた。私の中の家族は昔のままだったから。

久しぶりに兄や母に会って、今まで許せなかった全てが少しだけ成仏された気がした。

兄は会ってすぐ「久しぶり」と声をかけてくれた。私に誕生日プレゼントをくれた。夜ご飯をご馳走してくれた。

母は、心配そうな目で皮膚を撫でてくれた。手作りの肉じゃがとひじきを帰りに渡してくれた。

それだけのことだけど、私の胸を温かくするにはそれで十分すぎるほどだった。

これからも全部は許せないかもしれない。でも少しずつ許して、少しずつ昔の記憶を忘れていけたら、それでいいと思う。

まだ、鬱の薬も睡眠薬も手放せない。飲まなくなったらを考えると少し怖い。だけど、少しだけ光が差した気がしている。これは大きな変化だ。

許したくない、全部。

謝るって楽でいいなと思う。

謝る方が楽で抱え込む方が苦しい。

憎む方が楽で許す方が苦しい。

それなのに、謝られたら許さなきゃいけない。許さなかったら自分の心の狭さにまた嫌になる。一生憎ませてくれよ。何も考えずに済むように。悪者を作ることで安心させてくれよ。自分が悪者にならないで済むように。

許してしまったら、苦しくてたまらなかったあの頃の自分が可哀想だなって思う。何に怒って何に悲しんで何に助けを求めてたのかわからなくなる。

謝る方は楽だ。自分の過ちが無かったことになる。憤りを全て押し付けて自分だけ楽になろうとしてる。

こんなにも捻くれた考えしか持てずにいる。許したくない全部。虐待のトラウマを植え付けた父親も、助けをくれなかった母親も、「大丈夫」を植え付けた先生も、しんどい時に寄り添ってくれなかった人も、理由もなく無視を繰り返してきたあいつも、全部、全部、全部。

許したくないんだ。一生心に傷を負うのはそっちであって欲しいんだ。抱えて生きていって欲しいんだ。許しを求めてほしくないんだ。

私がおかしくなってからみんな優しくなった。そんな優しさいらない。欲しくない。

欲しかったものは全部、"あの頃"じゃなきゃ意味がない。今じゃない。

世の中みんなそうだ。攻撃するだけ攻撃して、誹謗中傷で誰かが自殺したら掌を返す。その前に気づくべきだ。人は脆い。いつ壊れるなんか誰にもわからない。壊れてから治そうとしたって意味ない。もう手遅れなんだ。自力で治るしかなくなるのに。

解放と放棄

感情がずっと迷子のままでいる。

嬉しいことも楽しいこともその時々の一瞬だけで、それが苦しい時のお守りになってはくれない。

穴の空いたコップのように、全て受けたまま流れていて、いつも何も満たされていない。

秋のように、苦しくて苦しくて仕方なくて、感情が暴れて涙が止まらないことはもうない。

いい意味で整理された気になっていた。でも本当は違ったのかもしれない。私はあの日から感情やそれに関わる全てから目を背け続けていた。何もかも考えることをやめていた。

だから、嬉しいことでさえ嬉しいと感じられなくなった。どんなに美味しいご飯を食べても美味しいと感じられなくなった。素敵な絵を見ても心が動かされることがなくなった。大好きな服を見ても欲しいと思わなくなった。

苦しみからの解放は、幸せを手放すことでもあったのだ。

戻るには目を向けなくてはならない、全てに。それがどれだけ怖くて面倒くさくて苦しいことか、想像しなくてもわかる。でもいつまでもこんな状態でいることはできない。

どうしたら乗り越えられるだろうか。一人では到底できそうにない。心のエネルギーがずっと欠乏しているのに、日々は繰り返される。日々を過ごすのに精一杯で、感情の回復にまで手が届かない。ずっと迷子だ。

堂々巡り

大丈夫だと思っても何度も繰り返す、どうしようもなくダメな日々。

少しずつ回復して少しずつダメな自分も受け入れられて、できないことをできるに持ってくのをやめて、できなくても楽しくやることを覚えて、諦めも覚えて、今の自分を壊すものからは距離を置いて、そうやって少しずつ自分のペースを掴んできた。

それでも急にやってくるどうしようもないナニカ。積み上げてきたものを全て掻っ攫っていく。

そのきっかけはいつも、他人のちょっとした一言、ちょっとした悪意。

自分ではどうにもできないその一つがいつも私の全てを蝕んでいく。そして空になり、空で在り続けることに飽きた私が、また一つずつと勇気や希望を積み上げていく。

後から思い返せば、なんであんな事で挫けたんだと思ってしまう、その時の私にとっては重大な事だったはずなのに。自分を責めたくないのに、人は変えられないから自分を責め続ける。

一度傷ついた心はどこにいるんだろう。大丈夫な時、私は無理をしているのだろうか。心の傷に見て見ぬふりをしているのだろうか。元気な私も私であってありのままなはずなのに、どこか嘘くさく感じてしまうのは何故だろう。

20数年生きてきて、今まで、元気な時が普通で、落ち込む時はあれど陽気なのが自分だと認識していた。疑ったことはなかった。それなのに、今では暗い時の自分の方がやけに生々しく自分らしく感じてしまう。元気な時は調子がいいときで、その希望はいとも簡単に崩れることが当たり前になってきた。

そんなはずはない、と、元からそうだった、の境目が曖昧で訳もなく苦しい。

こんなに沢山のモノに溢れててなんでも検索すれば出てくる世の中に、私の在り方や私の心だけが何故か見つからない。

心が悲鳴を上げ精神が崩れたあの日から進んでは戻り、また進んでは戻り、ちっとも前に進めていない。

そんなの、知らねえよ

もうダメだと思った時に母親の家を訪ねた。

分かってもらいたくて救って欲しくて行ったわけじゃない。そんなことはもうとっくに諦めている。期待なんてしていない。いつだって救ったふりをして、長引くと急に手のひらを返すのは母親の得意技だ。最後まで根気強く向き合ってくれたことなんて一度もない。

だから、あんたの娘はこんなに出来損ないだって、子育てに失敗して残念だねって、妹と幸せそうに暮らしている母親に、私を捨てた母親に、見せつけたかった。私ばかり壊れていくのは許せなかった。道連れにしたかった。それだけだった。

案の定、父親と離れるための支援をしてくれるわけじゃなかった。兄と暮らすか母親と妹と3人で暮らすかの話はあった。でもどれも現実的な話じゃなかったから鵜呑みにしなかった。期待するだけいつも無駄なのだ。初めから私は何も期待しないと決めている。心配してるフリして私を異常者だと決めつけた。どうせ兄達にも私がおかしくなったとかなんとか言ってるに決まってる。

妹が、私がお父さんと住もうかって言ってくれた時も、母親は、あんた(妹)に耐えられるのって聞いた。そんなの、知らねえよって思った。私だって無理なのに、嫌いなのに、あんたが結婚したってだけで、私はなんの関与もしてないのに、こんな男と暮らすことを強いられてるのに。次は妹が我慢すればいい。なんで私があんたたちの犠牲にならなきゃいけないの?兄が一人暮らしを先に始めたから私の一人暮らしのお金は払ってもらえない。家から遠くても通うしかない。

先に生まれた人は好き放題できて皺寄せは下に回ってくるし、一番下は一番下で可哀想って目で見られて守られる。上でも下でもない私はなんなんだろうね。なんの価値があるんだろう。兄妹なんて私にとって煩わしいものでしかない。そんなことを思うのは心が貧しいかもしれない。それでも、兄妹がいて良かったと思ったことなんて、いない方が良かったと思うことに比べたら遥かに少ない。そんな家だった。

平等に大切に愛することができないのなら、平等にお金をかけてあげられないのなら、産まないで欲しかった。少子化だろうがなんだろうが、そんなの知らねえよって思う。不幸な人間が大量発生するくらいなら、たとえ人類が滅亡したとしても幸せな人が一人でも多い世界の方がいいに決まってる。

与えられた最悪なもの

最近になってからアトピーになった。思いつく原因は沢山ありすぎるのに、どれも簡単に変えられる問題じゃなくてどうしたらいいのかわからない。そしてまたそれがストレスとなり体はどんどん痒みを増す。

夏は汗をかくな、冬は乾燥するな、不可能なことばかりを医者から要求される。

毎週のように皮膚科に飛んでいくお金。効果があるのかないのかわからない大量の飲み薬と塗り薬。終わりの見えない治る兆しもない醜い皮膚。掻き傷で血だらけのシーツ。色が白いことだけが取り柄だった肌が裏目に出て目立つ傷跡。

20代という若い時期なのに、アトピーのせいで服も化粧も恋愛も急に制限された。何を楽しみに生きていけばいいのかわからない。

こんな肌と一生を共にしなきゃいけないくらいなら死にたい。自分の皮膚が醜すぎて生きていたくない。望んで生まれてきたわけでもないのに、生まれてきて良かったなんて思ったことが一度もないのに、さらにこんな醜い肌まで与えられて、何のために生かされてるのかわからない。生まれてきたくなんてなかったのに、なんで私は生きてるんだろう。何もかもダメなのに、なんで。

 

そうじゃない

偉かったね、よくここまで来たね、辛かったね、よく生き続けたね、苦しかったよね、悲しかったよね、やるせなかったよね、よく日常生活を怠らなかったね、よく助けてって言えたね、よく命を無駄にしなかったね、

助けを求めた時にそんな言葉が欲しかった。今までの戦いを認めて欲しかった。でもみんな違う。現実的な解決策を持ってきたり、合理的な自分の価値観で「それってさー」って正しいアドバイスをくれたり、自分もそういうことがあったと自分の話をしたり、「世の中はそんなことだらけだ」「辛いのなんてみんな一緒だ」と上には上がいると励ましてきたりする。

それが正しく人を救う方法なんだと思う。でもやっぱり私はそんなことまで考えられない。全てが怖くて今の状態が良くなくても変わることすら怖いのに、未来まで考えられない。今この一瞬を生きるだけでも苦しいのに、これ以上何を求められても応えることができない。

繊細だから、弱いから、精神がおかしいから、HSP、AC、障害、そういう言葉で片付けられる。その枠に入ったら全て許されるの?そうじゃない。どんな状態でもずっとこの社会で生きなくてはならない。それなら、普通のフリをして生きた方がマシだ。誰にも迷惑をかけなくて済むし、自分を可哀想と思わなくて済む。

私はこういう人間なんですわかってください、なんていうのは通用しない。可哀想な人になればみんなが助けてくれる訳じゃない。それが何?って返される。それなら私もそれが何?って思って生きていく。

足並みを揃えればいい話だ。優しさなんて捨てて、気遣いなんて捨てて、怖い人も可哀想な人に置き換えて、鈍いフリをして図々しく、誰にも期待せず、自分にも期待せず、手前味噌的な強さを身につけて生きていけばいい。

私の思う正しさは社会に打ちのめされた。それだけのことだ。人間らしさなんて捨てて、機械みたいに生きればいい。同じ時間に起きて同じことをして同じ時間に寝る。それだけだ。道徳心や評価、意味、価値なんて求めない。生きることに意味なんてない。毎日を繰り返す、それだけだ。

結婚する気も子供を産む気も全くないけれど、もし自分に子供ができたら、生きていてくれるだけでいいって毎日伝える。テストの点数が悪かったって褒める。失敗したってその頑張りを褒める。どんな貴方でもずっと好きだと伝える。一位なんか目指さなくていいって伝える。順位には何の意味もないって伝える。誰かみたいに賞が取れなくても私は貴方の絵が一番好きだと伝える。頑張り過ぎなくていいと伝える。我慢は美徳じゃないと伝える。沢山抱きしめるし沢山手を繋ぐ。沢山話を聞いてあげるし沢山本を読んであげる。

けれど、私がいくら何をしたって存在自体が認められるような社会は一生来ない。そこに立ち向かうほどの強さは私にはない。誰か強い人が社会を変えようと頑張ればいい。私はこの社会に順応して生きていくしか方法がない。自分だけは守ろうと思っていたけれど、捨てたところでそもそも大した価値はなかったし、意味もなかった。捨てたって何にも変わらない。それなら潔く捨てて私は何もなかったように平然と生きていくことを選ぶ。

子供の頃、この人は何が楽しくて生きてるんだろうと思うくらい死んだ顔の大人たちを何人も見た。今ならその人たちの気持ちがわかる。みんな自分の正しさを、優しさを、社会や悪意に打ちのめされた人たちだったんだと思う。諦めた人たちだった。自分はそうならないと、ずっと思っていたけど、そういうことじゃなかった。そんなことに気がつくまでにこんなに時間がかかってしまった。