cLi0nE37’s blog

心のゴミ箱

一部と全部

親は子どもの数だけ親をやり直せる。でも私には母親は一人しかいない、その瞬間でしか築けなかったものが沢山ある。それが今でも私を苦しめている。

私は、普通の、ただ普通の家庭に憧れていた。家族とご飯を一緒に食べたかった。学校であった出来事を話したかった。テストの点数を褒められたかった。悩みを相談したかった。たまには一緒にご飯を作ったりお菓子を作ったりしたかった。そんなことだけで良かったんだ。特別なことは何一つ要らなかった。

母親はいて欲しい時に家にいなかった。だから今も関わり方の正解がわからない。兄も妹も。家族は私にとって他人より気を遣う、というか気まずい存在だ。

最近の母親は、生き生きしていてとても楽しそうだ。離婚して、妹と二人で暮らしている。妹の話を私に楽しそうにしてくる。時には、妹の学校での悩みを私に打ち明けてくる。私ももう成人している。今更、妹に嫉妬しても仕方がない。頭ではわかっていても、感情はついてこない。妹の話をしてくる母親に、私だって、と言いたかった。言えなかった。だって家族にとっての妹に勝てることなんて何一つなかった。

幼少期の頃の全ては人生に大きく関わる。そんなことを知らないまま親になる人が多い。子供はペットじゃない。子供を欲する明確な理由がないまま産むなら誰も幸せになれないからやめた方がいい。可愛いから、親になりたいから、全部自分たちのエゴだ。子供の身になって考えない。生まれようなんて考えて生まれてくる子供はいない。産んだのなら、幸せにする覚悟を持つべきだ。生まれてこなければ良かったと子供に思わせるか、生まれてきて良かったと思わせるかは、半分くらいは親にかかっていると言っても過言ではない。子育てに失敗した、なんて一言で片付かない。親にとっては人生の一部かもしれないが、子供にとっては人生そのものだ。