cLi0nE37’s blog

心のゴミ箱

不確かな生命

心臓の鼓動の数が寿命と関係するのなら、私は間違いなく早死にするだろう。

苦しいと感じた時、胸に手を当てると鼓動が早いことに気がついた。ここ最近の息苦しさは過度な心拍数だったに違いない。

私を苦しめるものも徐々に分かってきた。高圧的な人、プレゼン、ラインの通知、タスクに釣り合わないタイムリミット、自分に好意的ではない人の言動、やりたくないこと、長文のメッセージ、綿密なスケジュール、急なスケジュールの変更、過去に言われた受け止めきれない言葉、精神的な圧力、主なものはこんなところである。

誰しも嫌なものであることには違いないが、きっと不快な気持ちを抱くか、苛立ちを覚えるか、それくらいで済むはずだ。これまでの私だってそうだった。

けれど最近のそのものたちは、私の心臓までをも圧迫し始めている。本当に苦しくて呼吸が下手になる。特に高圧的なモラハラ、生活リズムを崩すスケジュール変更、通知音は宿敵である。

何故最近になってこんなにそれらが苦しく感じるのだろう。心には一定の水準が決まっていて、それを超えたらSOSが心臓にやってくるのだろうか、それなら私は今後もずっとこの心臓の苦しみに耐え続けなければならないことになる。気が遠い。

心が雪崩をおこしてからというもの、自分がいかに今まで自分に無関心であったかを思い知らされている。私は何が好きで何が嫌いなのかさえやんわりとしか知らなかった。知ったからといって、すぐに対応できるわけでもないが、理由がわからない苦しみには「大丈夫」の言葉さえ響かない。理由がわかれば少しは自信を持って自分に「大丈夫だ」と言い聞かせるくらいはできる。胸に手を当て深呼吸をしながら。そして毎回気がつくのだ、自分は生きているのだと。今この瞬間、この苦しい瞬間にも、私の心臓はSOSを出しながらも必死に脈を打っている。

私は思う。どうせ消える勇気も覚悟もないのなら、この戦場を生き抜くために、もっと自分を研究しなくてはならないと。苦しみから自分を守るために。心臓にも労りを込めて。