cLi0nE37’s blog

心のゴミ箱

世の中は鈍く図々しい人が生き残る

20数年生きてきて辿り着いた一つの結論である。

昔から人の表情、言葉、態度、空気感、全てに敏感で、たぶん生きづらい人生だ。

勿論、それが長所になることもある。人の気持ちを察した行動、相手を思いやることはどちらかというと得意かもしれない。

しかし、これらは人から都合よく利用されやすいという欠点を持つのだ。ここで問題になるのは、相手が私を利用していること、いやそれ以前に私の気遣いにさえも気づいていないということ。

この悪意のない図々しさに私は何度も心を蝕まれた。見返りを求めて親切にするわけではない。ただ私は、私が相手を思いやるくらい相手にも私を思いやってもらいたいだけ。そうではないことが悲しいだけなのだ。

人の気持ちを察することがないということは、隠れた親切心に気がつかないだけでなく、悪意のある他人の言動にも気がつかないということである。

例えば、私がAさんの不機嫌に気がついたとする。その場にいたBさんに「Aさんいつもと雰囲気違う気がする」と伝えても、Bさんからは「そうかな?いつもと変わらないと思う」と不思議がられるということが起こる。

私はそのAさんの不機嫌さから自分までブルーな気持ちを引きずることになるし、Aさんに過剰に気を遣うこととなり疲弊する。さらには不機嫌なAさんと、何の空気も読まないBさんとの間に挟まれ気まずい立場に立たされるのだ。

道徳的な評価よりも、数値や社会的地位の評価が優勢となった今、何にも気づかない鈍感さと、図々しく人を踏み台にして明るく生きていく鈍い強さは、私がずっと焦がれているものである。