cLi0nE37’s blog

心のゴミ箱

そうじゃない

偉かったね、よくここまで来たね、辛かったね、よく生き続けたね、苦しかったよね、悲しかったよね、やるせなかったよね、よく日常生活を怠らなかったね、よく助けてって言えたね、よく命を無駄にしなかったね、

助けを求めた時にそんな言葉が欲しかった。今までの戦いを認めて欲しかった。でもみんな違う。現実的な解決策を持ってきたり、合理的な自分の価値観で「それってさー」って正しいアドバイスをくれたり、自分もそういうことがあったと自分の話をしたり、「世の中はそんなことだらけだ」「辛いのなんてみんな一緒だ」と上には上がいると励ましてきたりする。

それが正しく人を救う方法なんだと思う。でもやっぱり私はそんなことまで考えられない。全てが怖くて今の状態が良くなくても変わることすら怖いのに、未来まで考えられない。今この一瞬を生きるだけでも苦しいのに、これ以上何を求められても応えることができない。

繊細だから、弱いから、精神がおかしいから、HSP、AC、障害、そういう言葉で片付けられる。その枠に入ったら全て許されるの?そうじゃない。どんな状態でもずっとこの社会で生きなくてはならない。それなら、普通のフリをして生きた方がマシだ。誰にも迷惑をかけなくて済むし、自分を可哀想と思わなくて済む。

私はこういう人間なんですわかってください、なんていうのは通用しない。可哀想な人になればみんなが助けてくれる訳じゃない。それが何?って返される。それなら私もそれが何?って思って生きていく。

足並みを揃えればいい話だ。優しさなんて捨てて、気遣いなんて捨てて、怖い人も可哀想な人に置き換えて、鈍いフリをして図々しく、誰にも期待せず、自分にも期待せず、手前味噌的な強さを身につけて生きていけばいい。

私の思う正しさは社会に打ちのめされた。それだけのことだ。人間らしさなんて捨てて、機械みたいに生きればいい。同じ時間に起きて同じことをして同じ時間に寝る。それだけだ。道徳心や評価、意味、価値なんて求めない。生きることに意味なんてない。毎日を繰り返す、それだけだ。

結婚する気も子供を産む気も全くないけれど、もし自分に子供ができたら、生きていてくれるだけでいいって毎日伝える。テストの点数が悪かったって褒める。失敗したってその頑張りを褒める。どんな貴方でもずっと好きだと伝える。一位なんか目指さなくていいって伝える。順位には何の意味もないって伝える。誰かみたいに賞が取れなくても私は貴方の絵が一番好きだと伝える。頑張り過ぎなくていいと伝える。我慢は美徳じゃないと伝える。沢山抱きしめるし沢山手を繋ぐ。沢山話を聞いてあげるし沢山本を読んであげる。

けれど、私がいくら何をしたって存在自体が認められるような社会は一生来ない。そこに立ち向かうほどの強さは私にはない。誰か強い人が社会を変えようと頑張ればいい。私はこの社会に順応して生きていくしか方法がない。自分だけは守ろうと思っていたけれど、捨てたところでそもそも大した価値はなかったし、意味もなかった。捨てたって何にも変わらない。それなら潔く捨てて私は何もなかったように平然と生きていくことを選ぶ。

子供の頃、この人は何が楽しくて生きてるんだろうと思うくらい死んだ顔の大人たちを何人も見た。今ならその人たちの気持ちがわかる。みんな自分の正しさを、優しさを、社会や悪意に打ちのめされた人たちだったんだと思う。諦めた人たちだった。自分はそうならないと、ずっと思っていたけど、そういうことじゃなかった。そんなことに気がつくまでにこんなに時間がかかってしまった。