cLi0nE37’s blog

心のゴミ箱

朝の9時から夕方の5時まで、ずっとずっと泣いた。休んだのは良いものの、家にも帰りたくなかった。電車で、街を歩いて、カラオケで、映画館で、また街を歩いて、また電車で、バイクに乗って、泣いた。涙は際限を知らなかった。何処にこんなに液体が隠れていたのかと、不思議に思うくらい、泣いた。何を見ても涙は出た。声を出して泣いたのはいつぶりだろうとかそんなことを考えて、また泣いた。カラオケは歌いもせず歌を入れては、いつも聞き流してた歌詞ひとつひとつに泣いた。ワンワン泣いた。呼吸が乱れた。あと一歩で過呼吸になりそうな、今まで味わったことのない苦しさを感じて、ビニール袋を持ってないことに気づいて必死に耐えた。震える身体とは反対に頭は冷静だった。映画館は泣ける要素が一つもないのに泣いた。やっぱり何処かおかしかった。

それなのに、夜中、何があったわけでもなく急に涙の熱は冷めた。心臓が苦しくなったり勝手に涙が出たりして、どうしたら良いかわからないことがずっと怖かった。おかしくなっている自分が一番怖かった。でもそれが止んだ。だから余計に何が苦しかったのかわからない。昨日までの自分が別の人間だったような、何かに取り憑かれていたような、そんな感じで今日を過ごした。

昨日心を離すまいと必死に悶えてた。その手を今日は簡単に離して心にサヨナラをしたからもう全部どうでも良くなった気もするし、心が戻ってきて落ち着いた気もする。どちらなのかわからない。"無"という漢字程今を表すのにピッタリの言葉は他にない。

心配をかけたくなくて誰にも話さなかったわけじゃない。私は「そんなことで」と思われるのが一番怖かった。弱っている自分を否定されたら死にたいと思うに違いなかった。誰にも話さないことは私にとって最後の自己防衛だった。誰も信用できないから、自分の味方でいてくれる保証がないから、話さなかった。それだけだった。

泣いてた理由と言えそうな思いつくことを話していたら、全部くだらないな、と思った。そんなことで何で泣いてたのか自分でもアホらしいと思った。苦しんだ記憶はもう既に頭から消えていたから、話したことなんて一部に過ぎなかった。多分防衛機能が働いて勝手に記憶がなくなったと思う。私はいつも自分に都合の悪い記憶をなくす。無くしたくなくても無くす。そういう仕組みになっている。項目だけが羅列する。だけどその中身は何も覚えてない。

辛かった記憶も、苦しいと感じてたことも、ぜんぶ、「ソレガナニ?」と思うようになった。自分の住んでる街の形を想像して、都道府県の形を想像して、日本の形を想像して、地球を想像したら、本当にどうでもいいなって思った。

だけどやっぱり食欲はないしやる気もない。働いてる時もボーッとしてた。意識は何処にもなかった。ご飯は食べたけど、口に幸福感が欲しいだけで胃は全く稼働していない。だから気持ち悪くなった。それでも食べた。取ってつけたような幸せにしがみついている。何にも染みない、何も感じないのに。

あと何十年も生きなきゃいけないことが辛いと思っていた。だけど今は、何十年も生かされるなんて可哀想だなって思う。自分に起きること全てが他人事のように感じる。それで?だから?ナニ?って思う。これからどうしたら良いのかとか、どうしようとか、ずっとそんなことを考えていた日々が、遠く感じる。そんなことどうだって良い。明日も朝が来て夜が来る。それが永遠に続く。それだけなのに、何をそんなに考えていたんだろう。朝と夜の繰り返し、それだけ。何にも怖いことなんてない。